Dream can do, Reality can do.

想像できることは、必ず実現できる。

安定の本当の意味

煽ります。

安定とは「何も考えない」である。

与えられたもので生き、指示されて動く。それが安定。

何も考えないから楽。

悩むこともなく、苦しむこともないから楽。

 

安定という言葉の怖さには気づいた方がいい。

何も考えないということは「真実が見えない」ということである。

なぜ真実が見えないのかというと、物事のつながりを見ようとしないから。

個々の事象に対して、喜怒哀楽を感じて終わる。

なぜ生じたのか、故に何がこれから生じるかを考えなければ、闇に包まれた真実を見抜くことはできない。

 

この世は上手い言い回してさまざまな事を隠している。

それを掘り出すのは自分しかいない。

早くそれに気づく人は、そこを起点にビジネスをはじめる

すると気づかない人は自然とお金を払ってしまうものだ。

社会に搾取され続けてしまう。

情報が降ってくるのをまってても、何も降ってはこない。

真実を見抜く目を鍛えた方がいい。

 

どうにしろ

「安定」という言葉は良くない。

そもそも借金まみれのこの国に安定している余裕は無い気がする。

アドラー心理学をまとめてみる

やっとちゃんと読みました

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 前から気になってはいたものの腰が重く、、、、

 

ネットでは、フロイトとの比較で

目的論が主に取り上げられますが

本当はもっと奥が深い理論だったのだなぁと。

 

 世界はシンプルである

—世界が複雑だと感じるならば、それは世界が複雑なのではなく、あなたが世界を複雑なものとしている—

大切なのは、世界がどうであるかではなく、あなたがどうあるかである。

 

色んなしがらみに縛られて、

・○○でなければならない

・○○だから、△△できない

 ・○○なんて、自分には無理だ

と、諦めているならばそれは、ルールや自らの能力に原因があるのではなく、

あなたがその選択を選んだ結果でしかない。

人間は、原因によって動かされるのではなく、目的に向かって行動を起こす強い生き物である。

故に、どんな行動もあなたが選択した結果である。

「トラウマ」「性格」というものもこの世界には存在しない。

原因を求めることに意味はなく、これからどうするかを真剣に考えればよい。

 

全ての悩みは対人関係から生まれる。

人間は一人で生きていくことはできず、かならず他者を必要とするからだ。

そしてあなたは他者のために行動する必要はない。

あなたの行動を評価するのは、他者の課題でありあなたの課題ではない。

故にあなたは自分の信じる最善の道を選べば良い。

そうすることで、本当の自由を得られる。

故に本当の自由とは、他者から嫌われることである。

 

対人関係のゴールは共同体感覚である。

共同体感覚とは、「私はここにいてもいいんだ」と思える感覚である。

それを得るためには、私がしてあげられることを他者にしてあげることである。

そこに承認を求めてはいけない。行動の評価はあなたの課題ではない。

大事なのは、「貢献感」をあなたが得られることである。

また、あなたは他者を褒めてはいけないし、叱ってもいけない。

褒めるということは、あなたは自然と他者を下にみているということである。

また、「承認を得るために行動する」ことを教えてしまうことになる。

叱るということは、あなたは他者の行動にしか注目していないということである。

他者の行動の目的に焦点を置き、良い方向に導かなければ、本当の意味での解決にはならない。

罰によって罪は消え去らない。罰がなくなれば同じ行動をとるだろう。

故に、賞罰に基づく教育は、子供の支配を意味する。

本当の教育とは、子供達が小さな共同体の中で共同体感覚を養うことである。

そのためには、他者との関係を「縦」ではなく「横」に捉えるべきである。

そして、他者に伝えるべきは感謝である。

そして、他者を無条件に信じることが共同体感覚を得る出発点である。

そして、特別になろうとせず、他者からの承認を求めず、自分のできる範囲で他者のために行動するという、「普通である自分」を認めなければならない。

そのためには、「今、ここ」を精一杯に生きることが大切である。

 

故に、世界はシンプルである

 

まとめるとこんな感じですかね。

興味あれば読んでみると良いと思います。

もしあれなら貸すので。

 

この本よんで、「あー何か似たような話があったなー」

と思って探しました。

ゲシュタルト」についてもどっかで書けたら楽しいかも。

※「ゲシュタルト崩壊」のゲシュタルトね。

 

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私はあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das sch?n,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

時は金ではない。

時=金

とかいうことわざがあるけど、

そんなわけないじゃんね。

 

時間でお金は稼げるけど、

お金で時間は増やせないもの。

 

ただ、時間を売ってお金を稼ぐってのもつまらないじゃん。

時間て誰でも持ちうるから、替えがきく。

替えがきくから、

まぁこんぐらい渡しておけば居てくれるだろう

というぐらいの金額を出す。

 

せっかく稼ぐなら何か価値を見いだしたいじゃん。

自分の経験とか能力とか知識が、

小さな価値になって、

それがお金になったら面白いじゃん。

 

お金に換えるべきは、時間ではなく価値だと思う。

そのために、ちょっと面白いことをやってみようと思うのです。

時間は誰もが持ちうる大切な価値。

大切に使いたいものです。

自分は簡単には変わらない

自分を変えたい

と願う人は沢山いるはず。

自分もその中の一人で、

どう変わりたいのかはよくわからないけど

自分を変えたいと思っている。

 

そんな中で、

このままの自分でいいじゃないかと思うこともある。

無理矢理変えて何が楽しいのだろう?と疑問に思うことがある。

 

どんな決断も

簡単にできるものではないだろう。

なぜならそれは

今までの自分の「死」を意味するからだ。

死ぬのは怖いのと同じように、今までの自分が死ぬことを恐れる。

 

自分を変えようとするとき

変わった先の未来を考えてしまうだろうが、

そんなものは誰にもわからないのだ。

それは、

真っ暗闇のなかで一歩踏み出そうとするのに似ている。

ただの段差かもしれないし、

谷底深い崖っぷちかもしれない。

 

それでも一歩踏み出したら

何かが変わるはずだ。

最初から良い方向には進まないかもしれないが、

それでも踏み出さなければ、

何も変わらない人生を歩むことになる。

 

死ぬのは怖い。

当たり前だ。

それでも、それを乗り越えて踏み出すことが

人生の本当にあるべき姿なのだろう。

後悔しない就活を考える

 就活が解禁になって一ヶ月が経とうとしていることもあり、

個人的に「後悔しない就活」を考えてみる。

 

まず、各人にとっての「後悔しない就活」とは何だと思う?

きっと就活生はこう答える

「理想の会社に内定をもらえる就活です!!」

俺はさらに問う

「理想ってどんな?」

「給料が高くて、残業が少なくて、福利厚生がちゃんとしてて、安定してて、、、」

多分こんな感じ。

 

もしコレを読んでる人の中で、こんな理想を思い浮かべた人は注意したほうがいい

「理想の会社」なんてものはこの世に存在しない。

会社は経営者の為にあるもので、あなたの為には存在しない。

故に、どれだけ志望した企業に行こうがあなたは必ず後悔する。

そして悩む。

転職しようが同じこと。

 

こんなことを書いていると

後悔しない就活なんてないじゃないか!

と反発が来そうだ。

社会人なんてクソ。ずっと大学生がいい。

そんな意見も出てきそう。

 

だけど、

俺は大学生なんかよりもよっぽど社会人の方がいいと思っている。

なぜかというと

社会人は価値を生み出す力を身につけられる。

価値とは「商品」だったり「セールス」だったり「マーケティング」だったり「コンサルティング」だったり

あらゆる能力を身につけることで価値を生み出すことができる。

その練習と実践の場である。

大学生ではこれらを身につけることは難しい。

生み出すことができる分、社会人である方が楽しい。

 

さて、では俺が思う「後悔しない就活」を言おう

それは「将来の自分のための投資ができる会社を選ぶ就活」

自分は将来こういう事がやりたい

そのためにはこういう能力を身につけなければならない

私はその能力を身につけるために(勉強するために)この会社を選ぶ。

その上で私はこの会社でこういうことを成し遂げたいのだ。

だからこの会社を選ぶのだ。

どうだろうか。

これなら、どんな企業であろうとも「投資」として全力投球できるのではないだろうか。

この考え方を実践すれば必ず後悔しないわけではないだろうが、

少なからず「入社1ヶ月で辞めるゆとり」にはならないだろう。

 

就活というフェーズは、

大学生にとってかなり貴重な時間だと思う。

そこでやるべきなのは、

業界研究でもなく、OB訪問でもなく、なんとなく合説に行くことでもない

「私は将来どんな生活をしたいのか」

を真剣に考えることだと思う。

今までこの問いを真剣に考える時間は無かったと思う。

だけど、就活でやるべきなのはまず

「私は将来どんな生活をしたいのか」

これを真剣に考えることである。

全ての答えはそこから導くものだ。

 

就活に正解はない。

そして、就職がゴールではない。

就職は人生のスタートである。

そのスタートをどう切るのかを決めるのが就活だと思う。

だから、全ての就活生が

後悔しない就活をして欲しい。

 

もしかしたら、就活という選択肢を選ばないとしても

後悔しなければそれが正解なのだ。

よろしくお願いします。

自分の思うことを徒然なるままにに書いていこうかと

いろんな人の意見も伺えれば幸いです。

 

このブログが、

自分の価値観を広げ、これからの生活を豊かにすること

読者になってくれた方の手助けとなること

たまたま見てくれたかたの行動を良い方向に変えること

の一端になればいいなぁと思っています。