Dream can do, Reality can do.

想像できることは、必ず実現できる。

アドラー心理学をまとめてみる

やっとちゃんと読みました

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 前から気になってはいたものの腰が重く、、、、

 

ネットでは、フロイトとの比較で

目的論が主に取り上げられますが

本当はもっと奥が深い理論だったのだなぁと。

 

 世界はシンプルである

—世界が複雑だと感じるならば、それは世界が複雑なのではなく、あなたが世界を複雑なものとしている—

大切なのは、世界がどうであるかではなく、あなたがどうあるかである。

 

色んなしがらみに縛られて、

・○○でなければならない

・○○だから、△△できない

 ・○○なんて、自分には無理だ

と、諦めているならばそれは、ルールや自らの能力に原因があるのではなく、

あなたがその選択を選んだ結果でしかない。

人間は、原因によって動かされるのではなく、目的に向かって行動を起こす強い生き物である。

故に、どんな行動もあなたが選択した結果である。

「トラウマ」「性格」というものもこの世界には存在しない。

原因を求めることに意味はなく、これからどうするかを真剣に考えればよい。

 

全ての悩みは対人関係から生まれる。

人間は一人で生きていくことはできず、かならず他者を必要とするからだ。

そしてあなたは他者のために行動する必要はない。

あなたの行動を評価するのは、他者の課題でありあなたの課題ではない。

故にあなたは自分の信じる最善の道を選べば良い。

そうすることで、本当の自由を得られる。

故に本当の自由とは、他者から嫌われることである。

 

対人関係のゴールは共同体感覚である。

共同体感覚とは、「私はここにいてもいいんだ」と思える感覚である。

それを得るためには、私がしてあげられることを他者にしてあげることである。

そこに承認を求めてはいけない。行動の評価はあなたの課題ではない。

大事なのは、「貢献感」をあなたが得られることである。

また、あなたは他者を褒めてはいけないし、叱ってもいけない。

褒めるということは、あなたは自然と他者を下にみているということである。

また、「承認を得るために行動する」ことを教えてしまうことになる。

叱るということは、あなたは他者の行動にしか注目していないということである。

他者の行動の目的に焦点を置き、良い方向に導かなければ、本当の意味での解決にはならない。

罰によって罪は消え去らない。罰がなくなれば同じ行動をとるだろう。

故に、賞罰に基づく教育は、子供の支配を意味する。

本当の教育とは、子供達が小さな共同体の中で共同体感覚を養うことである。

そのためには、他者との関係を「縦」ではなく「横」に捉えるべきである。

そして、他者に伝えるべきは感謝である。

そして、他者を無条件に信じることが共同体感覚を得る出発点である。

そして、特別になろうとせず、他者からの承認を求めず、自分のできる範囲で他者のために行動するという、「普通である自分」を認めなければならない。

そのためには、「今、ここ」を精一杯に生きることが大切である。

 

故に、世界はシンプルである

 

まとめるとこんな感じですかね。

興味あれば読んでみると良いと思います。

もしあれなら貸すので。

 

この本よんで、「あー何か似たような話があったなー」

と思って探しました。

ゲシュタルト」についてもどっかで書けたら楽しいかも。

※「ゲシュタルト崩壊」のゲシュタルトね。

 

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私はあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das sch?n,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。